徳洲会体操クラブ所属の水鳥寿思選手が5月17日、母校である岡山県の関西高校で「体操と私」と題して講演を行った。 水鳥選手は静岡県出身だが、同校で3年間の高校生活を送っている。また、昨年10月に開催された「おかやま国体」では、岡山県代表として出場、選抜チームを3年ぶり2度目の優勝へと導いた。
「私が2歳7カ月の時に実家に水鳥体操館が完成し、気付いたら体操を始めていました。兄弟は中学生時代から体操競技でよい成績を残していましたが、私は自己最高の演技ができても23位。体が硬くて才能がなかったので、体操選手の道を諦めるように言われていて、その度に母が支えてくれました。
高校は家族の反対を押し切って関西高校に進学、体操浸けの3年間でした。私は決して才能ある選手ではありませんでしたが、体操の基本を一から教え直していただき、そのおかげでここまで頑張ることができました。そして高校時代に芽が出て、日体大に進学することになりました。 大学ではインカレのメンバーに選ばれましたが、全日本選手権で右大腿部を骨折する重傷を負い、寝返りもできない状態で1カ月間を過ごしました。このことは“がむしゃらにやってきた体操”を振り返る機会となりました。リハビリを開始してからも、なぜ体操をしているのかわからず、悩んでいた時期でした。兄に相談したり、具志堅浩司先生が怪我を乗り越えたことについて書かれた本を読んだりして、そのうちにウジウジしている自分がいやになり、“よし、チャレンジしよう”と決意。その時から、体操をやめたいと思ったことはありません。
当時、練習していた体育館が火事で使えなくなり、アテネ五輪の予選1年前に前十字靭帯を切ったときも、限りある練習時間を大切に使う工夫をし、体の動かせる部分を使う努力をしてイメージトレーニング。このときの経験は、短時間で集中できる失敗の少ない選手へと成長できるきっかけとなりました。何事も工夫次第で悪条件を克服して、利点に変えることができます。 アテネ五輪に出場するまでは、オリンピックに出場できて団体金メダルを獲得できたことで満足していました。しかしまだまだ上があることを知って、今は個人で金メダルを目指しています。
これまでを振り返ると“気の持ち方”の大切さを感じます。才能がない自分がここまで頑張れたのは、“負けたくない”という気持ちです。手術した3度の大怪我や体育館の火事、日々のつらい練習……困難なことも壁があるから乗り越えられるとよい方に解釈しています。辛いことから逃げていては、逃げ癖がつきます。困難を乗り越えたら、必ず良いことが待っています。 皆さんも目標を持って努力してみてください。仮に目標を達成できなくても。“頑張ることができる人”になれます。もし目標に迷ったら、勉強でもなんでも身近なことにチャレンジしてみてください。
私はアテネ五輪に出場したら、北京五輪に行きたくなりました。団体金メダルを獲得したら個人金メダルを捕りたくなりました。これからもチャレンジし終えた時に、自分の中に何かが残るように頑張りたいと思います。皆さんも目標を持って、一緒に頑張りましょう!」
水鳥選手は後輩へエールを送った。
さらに向かったのは、スーツを中心とした商品開発・販売を全国展開している、はるやま商事本社。同社はJOC(日本オリンピック委員会)のオフィシャルパートナーとして、その活動をサポートしている。水鳥選手は、今年5月から同社のCMに出演中だ。
治山正史社長をはじめとする同社の社員の方々に迎えられた同選手は、和やかな雰囲気の中、訪問を終えた。