杉野正尭主将&岡慎之助 パリ五輪体操男子での大奮闘を振り返る
岡は金3個と52年ぶり快挙・杉野も団体金に大きく貢献
体操ニッポンの大活躍に日本中が沸いたパリ五輪――。徳洲会体操クラブの杉野正尭主将と岡慎之助は、燦然と輝く金メダルを首にかけ、表彰台でスポットライトを浴びた。両選手は体操男子の日本代表として出場し、団体総合で金メダルを獲得。さらに岡は個人総合と種目別鉄棒でも金メダルの3冠という快挙を成し遂げ、種目別平行棒でも銅メダルを獲得した。杉野は種目別で、あん馬と鉄棒に出場し、それぞれ6位、7位の入賞。同クラブ創設以来、所属選手が五輪の個人総合で優勝したのは初。五輪の体操男子で日本が団体・個人・種目別を同一大会で制するのは52年ぶり、4個のメダル獲得は1984年のロサンゼルス大会以来となる40年ぶりの偉業だ。
世界のトップオブトップが勢ぞろいする実力伯仲の五輪という舞台。勝敗の分かれ目は、いつも紙一重だ。団体総合、個人総合ともに、金メダルの栄誉に浴した日本代表と岡と、銀メダルを獲得した国と選手とのポイント差は、団体総合で0.532、個人総合で0.233という僅差だった。
計画的で豊富な練習、ふだんどおりのパフォーマンスを発揮する精神力や平常心、特別な環境のなかでも勝つために必要な自己コントロール、自らを鼓舞する気力など、さまざまな必要条件を満たしながらも、多くのアスリートは金メダルを獲得する十分条件を捉えきれず、競技場を後にする。「勝負は水物」、「勝負は時の運」と言われるゆえんだ。
だが、パリ五輪で3冠を達成した岡は、弱冠20歳という若々しさを存分に発揮しながら、各種目で完成度の高い、そして極端にミスの少ない演技を完遂した。その結果が3冠につながった。
兆しは五輪前からあった。パリ五輪体操男子日本代表の内定を勝ち取った5月の第63回NHK 杯で、岡は見事に個人総合優勝。徳洲会体操クラブの選手としてNHK杯を制するのは17年ぶりだ。あん馬で落下するミスがあったが、1日目(予選)を1位通過し、2日目(決勝)でも粘り強く安定した演技を披露。あん馬以外の5種目で、すべて14点台をマークし、一度もトップを譲ることがなかった。パリ五輪個人総合の大舞台では、あん馬は決勝で全体の4位という上位の成績を収めた。修正力の高さが光る。
団体総合の大逆転劇に貢献
五輪団体総合の決勝では、1 チーム5 選手のうち、各種目(全6種目)で3 選手が演技し、その合計点を競った。岡は、ゆか、つり輪、平行棒、鉄棒に出場し、杉野は、あん馬、跳馬、鉄棒に出場。ふたりとも、すべて14 点台をマークするなど、終始安定した演技を披露。杉野のあん馬は全体で2位タイ、鉄棒は3位タイ、岡のゆかは3位タイと上位の成績を残した。
日本は5 種目めの終了時点で、トップの中国に3 点以上離される苦しい展開だったが、最終種目の鉄棒で、トップバッターを務めた杉野が着地をぴたりと止め、堂々の14.566をたたき出し勢いを付けると、岡も14.433の高得点を出すなどして大逆転。日本は五輪2大会ぶりに頂点に立ち、チームメート全員で喜びを分かち合う姿が感動を呼んだ。徳洲会体操クラブ所属選手が五輪団体総合で金メダルを獲得するのは、米田功監督が現役選手だった2004 年のアテネ大会以来、20 年ぶりの快挙だ。
個人総合の決勝では、岡は2 種目めのあん馬終了時点でトップに立ち、4種目めの跳馬終了時点には一時順位を3 位にまで下げたが、5 種目めに得意の平行棒で15.100 の高得点を出し、再びトップに返り咲いた。最終種目の鉄棒でも、全体で2位の14.500という素晴らしい演技を披露、僅差で2 位に付けていた選手の逆転を許さなかった。2位の選手には4種目で得点を上回られたものの、得意の種目で確実に高得点を出すとともに、粘り強くミスのない演技を重ね続けたことで、偉業を達成した。
種目別では杉野と岡は、それぞれ2種目に出場。すべて予選を突破し、上位8人が競う決勝に進出した。岡は体操競技の最終日に、まず平行棒で演技。最終の8番目に登場し、着地まできれいに決めると、15.300の高得点で銅メダルを獲得した。同種目で日本がメダルを獲得するのは、04年のアテネ大会以来の快挙だ。
その表彰式から約1時間半後には鉄棒で演技。2人目に登場した岡は平行棒同様、ミスなく着地もぴたりと止め、14.533の高得点。3人目のコロンビア代表選手が岡と同スコアをマークしたが、競技規則により、技の完成度を示すEスコアが上回る岡がトップとなり、最後まで首位の座を明け渡すことはなかった。杉野は8月4日(日付は日本)に行われたあん馬で、ミスなく演技を終え14.933の高得点をマークし6位入賞。岡とともに出場した鉄棒では7位入賞を果たした。
試合後、岡はミスなく演技しきれたことや、一昨年に大けがを負ったが、その時から今大会に向け、しっかり準備してきたことが結果につながったと強調。帰国後の会見では「ひざを大けがした際には、多くの方に支援していただき、それが力となり、今回の結果につながりました。感謝の気持ちを込めた演技ができたと思います」(岡)、「プレッシャーを負う場面で応援の声がひと押しし、金メダルを獲得できました」(杉野)と、周囲の助力や応援に謝意を表した。
日本と五輪会場のあるフランスでは7時間の時差があるため、演技時間が日本では深夜だったにもかかわらず、注目度は非常に高く、徳洲会体操クラブのホームページへのアクセスも急増。団体総合決勝のあった7月30日は約5万6,000回(表示回数)、個人総合決勝の8月1日には約20万4,000回(同)、種目別鉄棒決勝の5日には6万7,000回(同)にも上った。
五輪にかける強い思い
ふたりともパリ五輪への出場と、そこでの活躍に向け、強い思いを抱いてきた。杉野は前回の東京五輪で代表入りを狙っていたが、最終種目の鉄棒でミスが出て、僅差で落選。目前でチャンスを逃した悔しさをバネに、米田監督と練習計画を何度も練り直しながら臨んだ結果、22 年、23 年の全日本シニア・マスターズ体操競技選手権大会の個人総合で連覇を果たすなど、結果を出した。
今年の代表選考会で高難度の技を組み合わせた鉄棒と、あん馬の演技構成などが評価され、スペシャリストとして悲願の日本代表入りを果たした。実際にパリ五輪の団体総合では、出場した種目で勢いのある演技を披露し、しっかりと高得点で結果を出し、金メダルに大きく貢献した。
一方、岡は、けがに苦しんだ。一昨年、試合中に前十字靱帯断裂と半月板損傷の大けがを負い、全治8カ月と診断。ほぼ1年間、体操ができなかった。それでも五輪出場を信じ、筋力トレーニングや読書に励むなど心身ともに鍛え上げ、昨年6月、第10回アジア体操競技選手権大会の個人総合で優勝し、復活を遂げた。
五輪開幕前に一般社団法人徳洲会東京本部を訪れた際、岡は「団体と個人で金メダルを狙います」と、さわやかに宣言。きびきびとした正確で美しい演技により、有言実行を果たした。開幕直前には、多くのメディアが五輪特集を組み、そのなかで岡は「ミスなくやりきること」と強調していた。
実現できない夢はない――。これは徳田虎雄・名誉理事長が、自著の副題にも付けた奮起を促す力強い言葉だ。体操ニッポンの代表選手たちが体現した五輪金メダルという正夢。日本中に届けた感動。さあ、この勢いで4年後のロス五輪へ前進だ。
Profile
杉野 正尭(すぎのたかあき)
1998年10月18日、三重県出身。170cm、60kg。鹿屋体育大学大学院修了。6歳から体操を始める。2021年、徳洲会体操クラブ入り。17年、19年の全日本種目別選手権あん馬 1位など
岡 慎之助(おかしんのすけ)
2003年10月31日、岡山県出身。155cm、54kg。星槎大学在学中。4歳から体操を始める。19年に徳洲会体操クラブ入り。同年の世界ジュニア選手権では団体・個人総合ともに金メダル、種目別のあん馬で銀メダル、平行棒で銅メダルなど