アテネオリンピック2004
アテネオリンピックの体操競技は8月23日に全日程を終え、日本男子団体総合で金メダル、種目別でも銀1、銅2のメダルを獲得。8月26日の午後、選手団は閉会式より一足早く帰国、詰めかけた関係者や報道陣から大きな声援を受けた。
千葉県成田市内のホテル でおこなわれた記者会見では、それぞれが今回のオリンピックを振り返り、今後の豊富などを語った。
また徳洲会体操クラブ所属の米田功、水鳥寿思両選手は優勝報告のために東京都内で徳田虎雄理事長を訪問した。
体操男子団体総合 の決勝戦は歴史的な逆転劇となった。最終種目の鉄棒で、最終演技者・冨田洋之選手の「新月面宙返り」の着地が見事に決まり、日本は首位のルーマニアを抜き去り、28年ぶりにオリンピックで王者の座に返り咲いた。この瞬間、鹿島丈博選手は雄叫びを上げ、米田功選手が跳びはねた。日本の体操男子団体はモントリオールまで五輪5連覇の黄金時代を築いたが、その後低迷が続き、7大会ぶりに五輪を制して「体操ニッポン」復活を果たした。
今回のアテネでは新ルール「6・3・3制」が五輪史上初めて採用された。団体総合予選を勝ち抜いた上位8カ国が、登録6選手の中から各種目3人を選んで演技し、その3人すべての得点で順位が決まる。以前に比べ、1人のミスが順位を大きく左右するようになった。
その予選で日本は、塚原直也選手(朝日生命所属)、冨田洋之選手(セントラルスポーツ所属)、米田功選手(徳洲会所属)、中野大輔選手(九州共立大)、鹿島丈博選手(セントラルスポーツ所属)、水鳥寿思選手(徳洲会所属)がそれぞれ難度の高い演技を次々とこなし、団体総合予選をトップ通過した。
ノーミスで僅差の逆転劇を演出
決勝では、 最初のゆかを終えた時点で、出場8カ国中7位と大きく後退した。しかしそこからが新生体操ニッポンの本領発揮。全員がノーミスの演技を続け順位を上げた。5種目の平行棒を終えた時点では2位。僅差で最終種目・鉄棒での勝負となった。その鉄棒で首位を行くルーマニアは1人が落下。米国も2人が安全策で演技の難度を下げ、得点が伸びなかった。「練習どおりやればいけると思った」の言葉どおり、米田選手が9.787の高得点をたたき出し、鹿島選手が9.825と続いた。最終演技者の冨田選手は余裕を持った演技で9.850、逆転Vを決めた。
壮行会での約束を果たした両選手
決勝戦で主将として大活躍 した米田選手はドイツ生まれの26歳。7歳から体操を始め、2002年世界選手権鉄棒5位、03年全日本選手権個人総合優勝など、早くからその才能を発揮していたが、00年のシドニー五輪選考会では代表入りを逸し、昨年のNHK杯でも故障に泣いた。「遅れてきたエース」と呼ばれた孤高の天才は、アテネ五輪代表決定競技会を兼ねた今年のNHK杯体操競技会で見事優勝、初の五輪代表となった。
一方、水鳥選手は静岡県生まれの24歳。8歳から体操を始め、01年ユニバーシアード大会団体2位、02年全日本学生選手権で個人2位、今年のNHK杯体操競技会で3位に入賞し代表の座を射止めた。
6月26日に行われた徳洲会グループのアテネ五輪壮行会では、徳洲会体操クラブの米田選手、水鳥選手、代表の座は逃したものの予備選手としてアテネに同行した佐野友治選手が挨拶。その中で水鳥選手は「恵まれた環境の中、練習に打ち込むことができたおかげで五輪出場への道が開かれました。練習の成果を必ず発揮してきます」と決意表明。また米田選手も「徳田理事長にも、金メダルを必ず取ってきますと約束しました。徳洲新聞の1面を飾れる活躍をしてきます」と語ったが、その約束を見事に果たす結果となった。